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2014年04月23日

サッカーは「人生を写す鏡」である Vol.1

静岡学園サッカー部では当時チームのサッカーノートがありました。
第57回全国高校サッカー選手権静岡県大会を控えた今から35年前の1978年10月17日の井田勝通監督は「想い」を、そのサッカーノートに綴られました。
想いを伝えたのは高校生で、時代も環境も異なります。しかし、生きた言葉は時代や世代を超えるものではないでしょうか?
いつか、言葉を置き換えられるようになれば、さらに理解を深められると思っています。


1. 目標をもつ

(原文のまま)

サッカーのゲームは「勝つ」ということと「ゴールする」こと、それ以上の目標はない。
「勝利」それにまさるものはない。しかしサッカーにはもっと深い、「勝つ」事以上に意義があるものがある。それは、グットプレー(良いプレー)をすることと、グットゲーム(良い試合)をすることである。では良い試合とは何でしょうか?

勝利と技術とフェアプレーがうまく調和した試合です。

私たちサッカーをするものの目標は「勝利」である。その上に「いかに理想的」な「良いゲーム」をするか?というのが目標である。そして私達は目標を持った所で、その目標つまり「勝利」に近づく方法を考える。もし私達が目標をもたなかったらどうでしょうか?それをいかにして達成するか、その方法もわからなくなってしまうでしょう。
現代、日本の多くの若い高校生は、人生の「目的」や「理想」をもっていない。
だから生きる方法を知らない。

私達には理想がある、・・・・静岡県で優勝し全国制覇したい!!・・・レギュラーになって、国体代表になって、ユース代表になって外国にゆきたい!!・・・日本代表になってオリンピックに出場したい!!・・・etc.

サッカーは人生を写す鏡です。

そしてサッカーの練習は「自分自身を鍛える」人生の鍛錬の場であるのです。その事は実際本当であり私自身も経験している。多くの卒業していった先輩達の中にも体験したものがいる。

目的のない練習! これほどつまらなくて自分自身が無気力になるものはない。人間はだれでも自分の人生の目標を自由に選ぶ権利を持っている。しかし、それと同時にいったん目標を定めたら少々の困難があってもくじけてはいけない。目標を定めたら、それに近づく努力し、ただ前進あるのみ。そして、私達は一人一人が違った目標を選ぶ権利を有すると同時に、人間は「自分自身のため」にだけでなく、チームの為、お互いの友達の為、社会の為に生きるという責任をもっているのです。

次回は「自分自身に勝つ」です。




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Posted by チャイルドSC at 11:14│Comments(0)サッカーノート
 
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